鹿児島地方裁判所 昭和62年(ワ)559号 判決 1989年1月23日
原告
前田真一
右法定代理人親権者母
前田康子
右訴訟代理人弁護士
中原海雄
被告
鹿児島市
右代表者市長
赤崎義則
右訴訟代理人弁護士
吉田稜威丸
主文
一 被告は、原告に対し、金二九一万一五一八円及びこれに対する昭和五八年一一月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求は棄却する。
三 訴訟費用は、これを六分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一一月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 当事者
原告(昭和四四年九月一八日生)は、昭和五八年一一月一一日当時、鹿児島市立甲南中学校二年に在学する生徒であり、被告は右中学校の設置者である。
2 事故の発生
(一) 原告は、昭和五八年一一月一一日、右中学校の体育館において、二時間目の体育の正課授業として、左記の跳び箱運動の授業を受けた。
記
(1) 跳び方 前方倒立回転跳び
(2) 跳び箱の条件 高さ四段横置
(3) 運動の内容 助走をとって跳躍し、跳び箱上部に着手し、身体を倒立させながら前方に回転し、跳び箱前方のマット上に着地する。
(4) 補助 右倒立回転を補助するため、生徒二名が跳び箱の両脇に立ち、各試技者に手を添えてその回転運動を助ける。
(二) 原告は、前方倒立回転跳びを試みたが、倒立自体が不完全であったところ、補助者の生徒二名が原告を無理に倒立させて更に前方に投げ出すように力を加えたため、原告は跳び箱斜め前方に正座の変形したような不自然な態勢で墜落し、右下腿骨々折、右足関節外傷性脱臼の傷害を負った(以下「本件事故」という。)。
3 被告の責任
(一) 本件前方倒立回転跳びは、高度の危険性を内包した運動であって、授業中生徒の身体に生じうる危険性は当然に予測しえたものであり、また、原告は本件事故当時肥満体であって運動能力も他の生徒に比べて劣っており、このことは右体育の授業の担任教諭肥後恪二(以下「肥後教諭」という。)において充分把握できていたはずである。実際にも、原告は本件事故の前にも前方倒立回転跳びを試みたが、これをなしえず、助走をとって跳び箱まで走っていっては跳び箱上に両手を着いた段階で中止して引き返し、列の順番の最後尾につくという行動を二、三回繰り返していたものである。したがって、肥後教諭は、教育専門家たる体育教師として、本件授業の実施にあたっては、本件課題が内包している危険性を予見し、かつ、生徒の個別能力を認識し、もって事故の発生を未然に防止するため、授業に立会い、監視のうえ適切な個別的指導措置をとるべき義務があったのであり、右立会、監視、個別的指導の義務を尽くしていれば、原告の右行動を認識して危険を予測し、危険回避のための適切な個別的指導措置をとることができたはずである。
しかるに、肥後教諭は、右体育授業の開始にあたって、約五分間生徒らに一般的な跳び方の指示を与えただけで、生徒らが同教諭の指示に従って跳び箱運動を開始するや、現場を離れ、約二〇メートル離れた体育館一階角にある体育教官室(そこから体育館内は見えない。)に帰り、当日午後に迫った道徳教育大会の準備に忙殺されていたのであって、前記立会、監視、個別的指導の各義務を全く懈怠し、もって本件事故を発生せしめたものである。
肥後教諭は被告の教育事務に従事する公務員であり、その職務を行なうにつき前記過失があったから、被告は原告に対し、国家賠償法一条に基づく責任を免れない。
(二) また、原告と被告との間には、甲南中学校で原告に学校教育を受けさせることを主要な目的とした在学契約が成立していたものであり、被告は、右在学契約に付随する義務として、学校教育の場において生徒の生命、身体等を危険から保護するための措置をとるべき義務(安全配慮義務)を負っていたものであるところ、被告の履行補助者たる肥後教諭は、前記のとおり右安全配慮義務を全く懈怠し、もって本件事故を惹起せしめたのであるから債務不履行があったものであり、被告は原告に対し民法四一五条に基づく責任を免れない。
4 損害
(一) 治療経過及び後遺障害
(1) 原告は、本件事故により前記のとおり右下腿骨々折、右足関節外傷性脱臼の傷害を受け、鹿児島市西千石町八番一三号日高病院において昭和五八年一一月一一日から昭和六〇年七月一五日まで(内入院日数五八日、実通院日数三六日)、同市郡元三丁目一四番七号三愛整形外科病院において昭和六〇年七月二九日から昭和六二年六月六日まで(内入院日数四八日、実通院日数八五日)、入通院して治療を受けた。
右以外にも、原告は、検査のため、昭和六一年五月一日鹿児島市立病院に、同年八月二二日今給黎病院に、同年一一月一二日及び昭和六二年五月二日鹿児島大学付属病院に通院し、また、足の痛みを軽減して中学、高校への通学可能状態を確保するため、鈴木整骨院、池之上療院、財部治療院、岩崎療術院、上村治療院等にたびたび通院して鍼灸による治療を受けた。
(2) 前記傷害に起因する症状は、昭和六二年六月六日固定し、原告には右足関節の可動障害、同関節腫脹、同関節痛により階段、坂道の昇降困難、長距離歩行困難、正座やや困難(短時間は可)の後遺症が残った。なお症状増悪の可能性がある。
(二) 治療関係費
六七万二九〇〇円
(1) 入院付添費 四二万四〇〇〇円
前記日高病院及び三愛整形外科病院入院全期間(一〇六日)中、原告の母前田康子が付添看護した。右付添費用は一日つき金四〇〇〇円が相当である。
(2) 入院雑費 一〇万六〇〇〇円
入院一日つき金一〇〇〇円が相当である。
(3) 通院交通費 一四万二九〇〇円
前記原告の傷害の部位程度から、前記日高病院(片道四五〇円、往復九〇〇円、実通院日数三六日)及び三愛整形外科(片道六五〇円、往復一三〇〇円、実通院日数八五日)への通院治療にはタクシーを利用せざるをえなかった。よって、前記通院治療に要した交通費は、合計一四万二九〇〇円である。
(三) 逸失利益
一九七五万四〇二一円
原告は、前記症状固定当時満一七歳(昭和四四年九月一八日生)の男子であり、かつ、前記後遺障害により二七パーセント労働能力を喪失した(昭和三二年労働基準局長通牒第一〇級)。
よって、その逸失利益は左の計算式のとおりである。
422万8100円×0.27×17.304=1975万4021円
(但し、四二二万八一〇〇円は賃金センサス昭和六〇年男子労働者学歴計全年令の年収額、17.304は就労可能年数を一八歳から六七歳までとした一七歳の者のライプニッツ係数)
(四) 慰藉料
(1) 傷害 金二五〇万円
金二五〇万円をもって慰藉するのが相当である。
(2) 後遺障害 金四五〇万円
原告は前記後遺障害に悩まされており、そのため通学が思うにまかせず、ついに昭和六二年五月三〇日付で県立錦江湾高校を退学のやむなきに至った。よって、後遺障害による原告の精神的苦痛は金四五〇万円をもって慰藉するのが相当である。
(五) 弁護士費用 金二〇〇万円
(六) 合計 二九四二万六九二一円
5 よって、原告は被告に対し、本件事故により原告が蒙った損害合計二九四二万六九二一円のうち二〇〇〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五八年一一月一一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
(認否)
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2(一)の事実は認め、(二)の事実は知らない。
3 同3の事実は否認し、法的主張は争う。
肥後教諭が授業現場を離れ、体育教官室に赴いたのは授業開始の約一五分後であった。この間、同教諭は生徒に技能や態度について説明し、準備運動をさせたうえ、全員に前方倒立回転跳びの実技の練習を数回させ、軌道にのったところで体育教官室に赴いたものである。
同教諭が体育教官室へ赴いたのは、当日午後の道徳教育大会の準備のためであったが、それに忙殺されたことはなく、体育教官室から体育館内の生徒の動静の声はよく聞こえるので、これに気を配っていたものである。
4 同4の事実のうち、原告が昭和六二年五月三〇日付で県立錦江湾高校を退学したことは認め、その余は知らない。(被告の主張)
1 本件前方倒立回転跳びの危険性の程度について
以下に述べるとおり、本件前方倒立回転跳びは、体力的にも技能的にも、学習による成長過程にある生徒にとって十分に可能なものとして学習にとり入れられているものであって、危険性の高い運動ではなく、むしろ発達段階に適した運動である。
(一) 前方倒立回転跳びは、文部省作成の中学校指導書にも示されていて、各中学校で行われているものである。
(二) 四段(高さ七三センチメートル)の跳び箱を使用する運動は、中学一年生から腕立て開閉脚跳び、台上前転等で経験しており、中学二年生においても本件授業時以前に腕立て開閉脚跳び、台上前転等で既に経験してきていた。
2 肥後教諭の行った安全配慮
以下に述べるとおり、肥後教諭は、本件前方倒立回転跳びの授業について安全配慮を尽くしている。
(一) 前回の跳び箱授業(台上前転の学習)の終わりに、跳び箱二段を使い前方倒立回転跳びの練習内容と方法を説明し、生徒に試技をさせ、導入的取扱いをしておいた。
(二) 生徒に対し、準備運動として、始業前に体育館内を一〇周走らせ、更に、始業後身体全体をほぐし、手首、足首、首等は特に入念に運動を行わせた。
(三) 生徒に対し、補助運動として、支え倒立(二人組で片方が倒立、他方が足首を持つ)をさせた。
(四) 前方倒立回転跳びの技能構造を分析し、助走、跳み切り、空間フォーム、着地の四つのポイントに分けて説明をし、二人の生徒に試技させた。
(五) 補助者は、体格的、技能的、人間的にすぐれた二人の生徒(体育部長と総務)に担当させ、補助の方法について、補助者の片手は前方への転落防止のため手のひらを肩口にあてがい、他の手は上体をうかせるため腹部に手のひらをあてがう、そして必ず左右二人で補助する旨説明し、そのようにさせた。
(六) 練習は、最初は二段の跳び箱(高さ四三センチメートル)を使い、勢いよく一歩踏み込んで跳び箱の上に倒立させ、補助者から前転をさせて貰うようにし、この練習を一通り一回程させて、次に同じ二段の跳び箱で二、三歩助走しての練習を一通り二回程させ、補助者の補助により全員ができたので、高さを四段(七三センチメートル)にした。四段での練習は、助走距離を約一〇メートルとるよう説明したが、各人の能力にあったところから走るようにして練習させ、一通り三回程してほぼ軌道にのり全員ができるようになったのをみはからって、体育教官室に赴いたものである。
(七) その間、二班に分かれて各跳び箱で練習している生徒達に対し、助走の仕方、踏み切りを強くすること、両腕をしっかり伸ばすこと、安全に気をつけて練習するよう注意しながら指導してまわった。
(八) 体育教官室に赴いたのは、当日午後に行われる鹿児島市道徳研究会で研究授業をすることになっており、その登場人物の関係を説明するための顔絵の切り抜き作業をするためで、作業内容は単純なものであり、この切り抜きをしながら生徒らが練習する動きの音や声に耳を傾けていた。
3 授業現場からの離脱と事故との関係について
器械運動では練習の機会を多く与えるため、生徒を通常二ないし四班に分けて練習させており、この練習の間、担当教諭は各班を巡視して移動しながら指導に当たるので、授業現場に立ち会っていても、各班を同時に指導することは不可能であり、一方の班を指導しているときに他方の班で事故が起こることはありえないことではなく、更には、担当教諭が立ち会って指導している班には絶対に事故が起きないということも断言できないのである。本件事故も肥後教諭が現場を離れたがために発生したものとはいえない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1及び2(一)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二本件事故発生に至る経過
右争いのない事実と<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分はにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 肥後教諭は、昭和五八年四月から原告が在学していた甲南中学校二年一、二組男子生徒(各一九名、合計三八名)の体育の授業を担当した。甲南中学校の昭和五八年度の体育の年間指導計画では、二年生男子生徒は、器械運動については一学期にマット運動が四時間(一時間は五〇分授業。以下同じ。)、二学期に跳び箱運動が五時間組まれており、肥後教諭は、原告らのクラスについて、右計画に従って、一学期にマット運動の前転、後転、開脚前転・後転、倒立、倒立前転、跳び込み前転、前方倒立回転の授業合計四時間を行い、二学期の跳び箱運動では、一、二時間目に主に腕立て開・閉脚跳び、三時間目に台上前転、四時間目に前方倒立回転跳び、五時間目に評価の各授業を行った。
2 肥後教諭は、二年一、二組男子の二学期の跳び箱運動の三時間目の台上前転の授業の終りに、次回に予定していた前方倒立回転跳びの導入として、生徒の前で代表の生徒に跳び箱二段横置で前方倒立回転跳びの試技をさせた。
四時間目の前方倒立回転跳びは、昭和五八年一一月一一日の午前九時四五分開始の二時間目の授業で行われた。生徒全員は、肥後教諭の指示に従って授業開始前に体育館内を一〇周程走って体を温め、各クラスごとに四段の跳び箱、踏板、マットを各一組用意した。
3 肥後教諭は、まず生徒に腰を下ろして休ませ、前方倒立回転跳びについて説明し、前方倒立回転跳びには助走、踏み切り、空間フォーム、着地の四つのポイントがあること、できない生徒はどこに欠点があるかを自分で見つけ出してそこを重点的に練習することなどを指示したのち、全身の準備運動をさせ、特に手首、足首、首等をほぐさせた。続いて補助運動として支え倒立(二人一組となり、一人が倒立、他方が倒立している者の足首を持って支えるもの)をさせた。
そして、各クラス補助者二名を指名し、補助の方法について、補助者は跳び箱の両側に立って生徒の上体が落下するのを防ぐため片方の手のひらを生徒の肩口に当て、他方の手のひらは生徒の身体を浮かすため腹に当てるよう説明した。その上で、生徒の前で代表の生徒二名に、二段の跳び箱(高さ約四三センチメートル)横置を使って二回ずつ試技をさせながら、前記四つのポイントと補助の仕方を説明した。授業開始後これまでに約八、九分を要した。
なお、肥後教諭が指名した原告のクラスの補助者二名は、クラスの生活班の体育班に属していた体育部長(体育教諭とクラスとの連絡係であり、また体育授業開始時の集合の号令をかけたりもする)と総務に属していた者の二名であり、体育部長は課外クラブ活動では陸上部に、総務の生徒は野球部にそれぞれ属していたが、器械運動について特に普通の生徒より経験があるとか、秀でているということはなかった。
4 その後、生徒全員に練習をさせたが、最初は二段の跳び箱横置を使って勢いよく一歩踏み込んで跳び箱の上に倒立し、補助者から前方回転をさせて貰う方法を一回ずつ、次に二、三歩助走して踏み切る方法を二回位ずつ行わせ、その後跳び箱四段(高さ約七三センチメートル)横置で助走を約一〇メートルとる方法で練習させた。
肥後教諭は、二段の跳び箱で生徒全員による練習を初めてから約五分ないし七分間、一組と二組の跳び箱を行ったり来たりしなから、練習の状況を見て、必要があれば指示をしたりしていたが、四段の練習に入って間もなく、同日午後鹿児島市道徳研究会の研究授業を担当して行うことになっていたので、その準備のため授業現場を離れて体育館角にある体育教官室に戻り、研究授業で使う登場人物の顔の絵の切り抜き作業を行った。
5 原告は、当時、身長一六〇センチメートル弱で体重約七〇キログラムの太った体格であり、体育の能力は普通より劣っていて、中学二年一学期のマット運動の前方倒立回転跳びでは、倒立まではできたが回転ができずじまいであり、肥後教諭がつけたその学期の体育の評価は五段階評価の2であった。肥後教諭は、昭和五八年四月から原告のクラスの体育の授業を担当しており、原告のおおよその体育の能力は把握していた。
6 原告は、跳び箱が四段になってから二、三回前方倒立回転跳びを試みたが、いずれも助走して踏み切り跳び箱に手を着いて少し身体を上げるところまでしかできず、倒立の状態に至らないで中止することを繰り返していたが、肥後教諭から跳び方について個別に注意、指導を受けたことはなかった。原告は、更に(三回目か四回目)前方倒立回転跳びを試みたが、前回と同様体が十分上がらず倒立の状態にまで至らなかったので中止しようとしたところ、このときは補助者が原告の肩と腰のあたりに手を当てて、腰を持ち上げて倒立及び前方回転するよう力を加えたので、原告は跳び箱前方に投げられたような形になり、バランスを失い、両膝を曲げて正座したような形でマットの上に着地した。この時既に肥後教諭は授業現場にはいなかった。原告は立とうとしたが右足の激痛のため立つことができず、そのまま這って体育館の端に行き、しばらく壁にもたれて座っていたが、顔色が悪いのに気づいた体育部長の生徒が体育教官室の肥後教諭に連絡した。
原告は、その後学校からの知らせで駆け付けた母親に付き添われてその足で日高病院に行き診察を受けたところ、右下腿骨々折、右足関節外傷性脱臼の傷害を受けていることが判明した。
三前方倒立回転跳びについて
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 文部省作成の中学校学習指導要領では、器械運動の跳び箱運動は、他の体育種目と同様、学年や技能の程度に応じて内容を工夫して指導するものとされている。また、文部省作成の中学校指導書(昭和五三年版)では、跳び箱運動の跳び方には二つの系統、すなわち、斜め跳び、水平跳び、仰向け跳びなどの切り返し系の跳び方と台上前転や前方倒立回転跳びなどの回転系の跳び方とがあるので、跳び方を工夫する場合には技能の程度に応じてこれらの課題を選んで指導することが望ましいとされており、また、器械運動は「できる」「できない」の個人差がはっきりした運動であるので、自己の努力すべき具体的な目標をしっかりもち、互いに協力して計画的に練習することが大切である、とされている。
鹿児島県のほとんどの中学校では、跳び箱の前方倒立回転跳びの授業を行っており、鹿児島市中学校保健体育教科部会作成の「昭和六二年度保健体育科指導計画」において示されている年間指導計画例では器械運動は一、二学年で扱うこととされていることなどから、二学年の跳び箱運動の最終種目として前方倒立回転跳びの授業を行っているところが多い。
2 跳び箱の前方倒立回転跳び(腕立て前転ともいう。)とは、助走から勢いよく踏み込んで両足で踏み切り、両足を上にはね上げながら上体を前に振り込んで跳び箱上に伸身体勢で着手し、倒立位を経て両手を突き放して伸身体勢を保ち(頭を起こして胸や腰を反らせる)、前方に回転して着地する運動である。
マット運動の前方倒立回転跳びでは着手点と着地点が同じ高さであるのに対し、跳び箱運動の前方倒立回転跳びは、着手点が着地点より遙かに高く、そのため重心位置を上げ、着手位置を上げ、更に倒立姿勢をとるためには、筋力を相当必要とするばかりでなく、技法的にも難しく、更に心理的不安も生じ易い。したがって、ほとんどの場合中学校の跳び箱運動の最終種目として組まれている。
3 前方倒立回転跳びの指導において事故防止のため注意しなければならないのは、踏み切りから着手までの第一飛躍において体を高く振り上げる勢いが不足する場合と、手の突き放しから着地までの第二飛躍においてバランスを崩す場合の二通りであり、中でも第二飛躍での回転のし過ぎや着地のバランスの崩れは特に危険性が高い。そのため、指導者は、生徒の能力に合わせて跳び箱の高さを選定することが大切であり、初めは低めの跳び箱で十分に時間をかけて練習回数を重ね、高さと回転の感覚をしっかり身につけさせ、その後徐々に跳び箱の高さを上げていくようにするとよい。
そこで、前方倒立回転跳びの練習方法についてみると、鹿児島大学附属中学校においては、補助運動として支え倒立のほか台上からの前方倒立回転おりを行い、回転の感覚と安全に着地できる能力を養い、更に導入段階の練習としてマット運動の前方倒立回転跳びのほか四、五段の跳び箱を縦に二台並べて短い助走から踏み切り、跳び上がって着手し前方倒立回転おりを行って、前方倒立回転跳びに必要な一連の動きをつかむ練習が取り入れられている。また「図解中学体育」(暁教育図書株式会社発行)では、最初は跳び箱の上にのり、補助して貰って前方倒立回転おりの練習をする、とされており、「中学校体育実技・鹿児島県版」(株式会社学研発行)では、練習方法として安全マットを使用しての体の跳ね上げの練習と台上からの前方倒立回転おりが掲げられている。また長崎県や宮崎県における昭和六二年度中学体育実技指導者講習会の報告では、台上からの前方倒立回転おりないし台上での頭支持倒立から回転おりを中間ステップとして取り入れる報告がなされている。
4 前方倒立回転跳びの補助については、踏み切りから着手、倒立までの第一飛躍の足の跳ね上げ動作に対しての補助と、倒立から着地までの第二飛躍の補助とがあり、跳び箱の前後に二人づつ補助者をつけて補助するのが最も安全である。第一飛躍における足の跳ね上げ動作に対する補助は、体の前面の大腿部などを上方へ勢いよく押し上げてやることによって回転力を増やすことができるが、このタイミングはかなり難しい。第二飛躍における補助は、勢いがつき過ぎて回転し過ぎ、着地の際に前方へ突っ込むように倒れ、足首や腕などの打撲や脱臼、骨折などのけがを防止するために行うもので、片方の手は生徒の腕を握って着地まで放さず、他方の手は背中に当てがうものとされている。
跳び箱の両側に一人づつ補助者を置く場合には、第二飛躍における補助(安全のための補助)を中心として、倒立位以後生徒の肩と背を支えるとか、上膊部を握持するよう説明されており、また、指導者によっては補助者を三人つけ、一人には第一飛躍(足先の跳ね上げ)の補助をさせ、二人には第二飛躍の補助として肩と背中に手を当てさせる方法をとるものもいるが、右いずれの場合も第二飛躍における安全のための補助が重視されている。
四肥後教諭の過失について
1 以上の認定判断によれば、跳び箱の前方倒立回転跳びは、できる子とできない子の個人差がはっきりした運動であるうえ、着手点が着地点より高く、また倒立姿勢をとるため、技法的にも難しく、心理的不安も生じ、危険性の高い種目であるから、その指導にあたっては、生徒の能力に応じて、台上からの前方倒立回転おりなどの一般的な導入練習をとり入れたり、まず低めの跳び箱で高さと回転の感覚をしっかり身につけさせてから高い跳び箱に移らせるなど、個別的、段階的指導をすべきであるとともに、特に倒立姿勢から安全に着地するまでの補助が危険防止のために重要であるから、補助者にそのための補助の仕方を十分説明して体得させるとともに、技能が拙劣で危険性の高い生徒に対しては、場合によっては教師自ら補助を行うなどして、生徒の事故発生を未然に防止すべき注意義務があるところ、肥後教諭は、二クラス三八人の男子生徒全員につき、一律に、高さ二段の跳び箱で助走なしの跳び方を一回、二、三歩助走する跳び方を二回位させたのみで、いきなり高さ四段の跳び箱での練習に移らせ、しかも器械運動能力の劣っている生徒に対してそれまでに台上からの前方倒立回転おりなどの一般的導入練習をさせることもなかったのであって、生徒の能力に応じた十分な個別的、段階的指導が行われたとは到底いい難く、また原告のように第一飛躍すら十分にできない生徒に対し何ら個別的な指導、助言をしなかったばかりか、四段での練習開始後間もなく授業現場を離れて、生徒が担当教諭に対し、跳び方について指導、助言を求めることをも事実上不可能にしたものであり、更に補助の方法についても第一飛躍(足の跳ね上げ)の補助を指示したことは窺えるが、事故防止のためにより重要な第二飛躍(倒立から着地)の補助については指示していないか、あるいは指示していても補助者に徹底していなかったことが窺えるのであり、肥後教諭には前記注意義務を尽くさなかった過失があるというべきである。
2 なお、被告は、器械運動では生徒に練習の機会を多く与えるため数班に分けて練習させるのが一般であり、その場合、担当教諭は各班を巡視しながら指導に当たるので、授業現場に立ち会っていても各班を同時に指導することはできず、現に指導していない班で事故が起きることもあり、更には現に指導している班で事故が起きることもあるのであって、担当教諭が授業に立ち会っていたかどうかは事故発生との関係で重要な意味をもつものではないかの如き主張をする。確かに担当教諭が授業に立ち会っていても事故が発生することはあるが、問題は、担当教諭が体育授業に伴う生徒の事故防止のため注意義務を尽くしていたかどうかであり、注意義務を尽くした上での事故であれば不可避的なものとして担当教諭には責任はないことになる。しかし、若し肥後教諭が原告はマット上での前方倒立回転跳びでさえできなかったこと及び跳び箱を使用した場合にはよりむつかしく、また失敗すれば負傷のおそれがより大きくなり、原告のように出来ない子供に対し一足飛びに無理にやらせれば危険なことに思いを致し、右1で述べたような個別的段階的指導を行っていれば、本件事故の発生をみなかったものと考えられるから、被告の右主張は失当である。
3 以上のとおり、肥後教諭には本件事故発生につき担当教諭としての注意義務を尽くしていない過失があるものというべきである。
そうすると、被告は、被告の公務員である肥後教諭が体育の授業を行うにつき過失により原告に加えた損害を賠償すべき責任がある(国家賠償法一条)。
五損害について
1 治療経過及び後遺障害
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 原告は本件事故により右下腿骨骨折、右足関節外傷性脱臼の傷害を受け、鹿児島市西千石町八番一三号整形外科日高病院に昭和五八年一一月一四日から同年一二月一一日までと同年一二月二六日から昭和五九年一月二四日まで合計五八日間入院し、右入院期間を除いて昭和五八年一一月一一日から昭和六〇年七月まで通院(実通院日数三六日)して治療を受け、その後再手術のため、同市郡元三丁目一四番七号三愛整形外科病院に昭和六〇年七月二九日から同年九月一四日まで四八日間入院し、同月一五日から昭和六二年六月六日まで通院(実通院日数八五日)して治療を受けた。また、原告は、右足関節痛、腫脹の検査のため、昭和六一年五月一日鹿児島市立病院整形外科を、同年八月二二日今給黎病院を、同年一一月一二日及び昭和六二年五月二日鹿児島大学医学部附属病院をそれぞれ受診し、更にこれらの治療と併行して、右足の痛みを軽減して通学を可能にするため鍼灸院等に通って鍼治療を受けた。
(二) 原告の症状は昭和六二年六月六日固定し、寒い時期や長距離歩行をした場合などに右足関節痛があり、また右足関節に腫脹が認められるなどの後遺障害が残った。
なお、右足関節の可動障害が若干認められるものの、日常生活に支障があるという程のものではない(健側の左足が背屈三〇度、低屈五〇度なのに対し、右足は背屈一五度、低屈四五度であるが、労働災害「障害等級認定基準」(労働省労働基準局長通達)によれば、正常可動範囲は背屈二〇度、低屈四五度であって、原告の右足関節の機能障害はごくわずかである。)。
2 治療費関係
(一) 入院付添費
金三七万一〇〇〇円
原告法定代理人前田康子の尋問の結果によると、原告の入院期間中(合計一〇六日)、原告の母前田康子が付添ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。近親者の入院付添費は日額三五〇〇円が相当であるから、入院付添費は合計三七万一〇〇〇円となる。
三五〇〇円×一〇六日=三七万一〇〇〇円
(二) 入院雑費
金一〇万六〇〇〇円
入院雑費は日額一〇〇〇円が相当であるから、その合計は一〇万六〇〇〇円となる。
一〇〇〇円×一〇六日=一〇万六〇〇〇円
(三) 通院交通費
金一四万二九〇〇円
前記認定の傷害の部位、程度、治療経過と弁論の全趣旨を総合すれば、原告は日高病院(往復のタクシー代九〇〇円、実通院日数三六日)及び三愛整形外科病院(往復のタクシー代一三〇〇円、実通院日数八五日)への通院治療にはタクシーを利用せざるをえなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると通院交通費の合計は一四万二九〇〇円となる。
九〇〇円×三六日+一三〇〇円×八五日=一四万二九〇〇円
3 逸失利益 金二九万一六一八円
前記争いのない事実と後遺障害の内容によれば、原告は本件事故により局部の神経症状を残すことになったものであるから、これにより原告の就労可能開始時点以後約四年間五パーセントの労働能力を喪失したものと認めるのが相当であるところ、原告の就労可能開始時は昭和六二年九月(満一八)からと考えられるので、年収を一九二万八五〇〇円(最新の昭和六二年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計男子労働者学歴計一八〜一九歳)とみて、昭和六二年九月から昭和六六年九月までの将来の逸失利益を年別ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、二九万一六一八円となる。
192万8500円×0.05×{6.5886(八年のホフマン係数)−3.5643(四年のホフマン係数)}=29万1618円
4 慰藉料
(一) 入通院慰藉料
金一二〇万円
原告及び原告法定代理人前田康子の各本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和六〇年三月甲南中学校を卒業し、同年四月肥後教諭らの勧めと協力もあって私立鹿児島実業高校普通科に入学し、一学期間松葉杖をついて通学したが、右足関節痛のため同年七月三愛整形外科病院に入院して再手術を受けることになり、そのころ右高校は原告が希望していた学校ではなかったこともあって、右高校を退学して公立高校を受験することに決め、昭和六一年四月県立錦江湾高校に入学し、同年五月ころまで通学したものの、駅から錦江湾高校までの約一キロメートルの坂道を通学すると右足関節痛があり腫脹が生じることなどから以後休学し、昭和六二年五月三〇日付で同高校を退学するに至ったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
前記認定の本件事故の態様、原告の受傷の部位、程度、治療経過に右認定の事実等を勘案すれば、原告の入通院慰藉料は金一二〇万円が相当である。
(二) 後遺障害慰藉料
金五〇万円
前記認定の後遺障害の内容に鑑みれば、原告の後遺障害に対する慰藉料として金五〇万円が相当である。
5 弁護士費用 金三〇万円
本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は三〇万円とするのが相当である。
6 以上合計 二九一万一五一八円
六結論
よって、原告の本件請求は、金二九一万一五一八円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年一一月一一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるから、これを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官下村浩藏 裁判官岸和田羊一 裁判官坂梨喬)